♦下着からボディファッションへ

皆さん、こんにちは。

企画デザイナーの市原です🎀

 

今週も、まだ寒さがつづきますね。。。

今週も歴史についてUPしていきますね🎶

 

本日は、「下着からボディファッション」についてお話します!

 

ブラジャーが出現した1916年は、スリップの登場した
年でもあります。

20世紀に入ってもスカート丈はまだ長く、ペチコートも丈の長い
ものでした。


ところが、1914年を境に、ペチコートが上に伸び、肩ヒモが付いた
「プリンセス・ペチコート」へと変わり、これが普及して
「プリンセス・スリップ」に、さらに一般化されて
「スリップ」という名称になったのです。

1914年は、第一次世界大戦がおきた年。この戦争が下着の発展に
大きく関与しました。当時、下着の素材の大半は綿製品でしたが、
綿火薬の製造のため、一般の綿の使用に制限をうけて不足。

代わってクローズアップされたのは絹のクレープデシン製ランジェリーが
好評を得て、絹の下着が流行し始めました。

さらに、絹が黄変しやすいことから、これを隠すために、ピンクや
サーモンピンクの色に染めたところ、おしゃれな色調として評判になり、
カラー下着が広まるきっかけとなったのです。

また、この戦争を境に、イブニングやアフターヌーンドレス、フォーマルドレス、
タウンウェア、スポーツウェアなどが現れ、装いにTPO的な発想が生まれてきました。

様性を獲得し、ボディファッションと呼ぶに相応しいものに変化しました。

こうした下着のなかから、現在のキャミソール、オールインワン、ガードルなどが
残されています。

もう1つの大きな流れは、機能性と実用性を重んじるデザインの登場です。

下着が機能中心に動きだし、基礎下着が日常の必需品となった1930年代には、
これらを一括して「ファンデーションガーメント」と呼ぶようになりました。

1935年には、ブラジャーのカップ別区分、Aカップ、Bカップなど確立しました。

 

そして、第2次世界後の1947年に、フランスのファッションデザイナー、
クリスチャンディオールが発表したニュールックは、服飾界に新しい波を起こしました。

面の変化を基準とするデザインは、ボディラインがそのままでるため、
プロポーションが女性にとって重要な条件となったのです。

そのため、下着の機能はより求められ、アウタードレスとともに発展し、今日のボディ
ファッションへと成長していったのです。

 

本日はここまで、歴史も終了しました。

 

次回は「ブラのお悩み」について

お話します!

 

今回もお読みくださり、ありがとうございます。
では、また来週!!!

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