皆さん、こんにちは。
企画デザイナーの市原です🎀
毎日、雨が多いですが、
みなさん体調はいかがですか???
先週から、ボディファッションの歴史をUPしています。
本日は~1945年
<「白木屋事件」と下着意識>
大正時代(1912~1926)は、モダンな洋装で働くバスガールや
カフェの女給が登場するなど、女性の職場進出が目立つようになり、
洋装下着への浸透にはつながらず、外見は洋装のモダンガールでも
内側に着ているのは和装の腰巻姿というアンバラスな時期が続きます。
昭和にはいってようやく一般化するようになり、下着はまずズロースから
普及していきました。
1932年の白木屋火災の際、ショーツを着用していない着物姿の女性店員たちが
下から見上げられる裾の乱れを気にして、非難ロープから手を離し、
命を落とすという事故が発生。
この思いがけない事故により、日本女性の下着意識が芽生え、ズロースが
全国に広まりました。
一方、ブラジャーは1929年頃、”乳房バンド”などの名で市販されましたが、
晒布やガーゼで胸を巻く方法が主流で、多くの女性がしようするには、いたりませんでした。
日本洋装文化は明治・大正・昭和初期にかけて、上流階級から徐々に一般大衆まで
広がりをみせてきましたが、1931年の満州事変を発端に、第2次世界大戦へと
発展した15年におよぶ戦時下で、大きく中断されました。
本日はここまでにします。
このあと、いよいよ戦後のブラジャーのお話になっていきます。
今回もお読みくださり、ありがとうございます。
では、また来週!!!